If I had six hours to chop down a tree, I’d spend the first four hours sharpening the axe.

~もし、木を切り倒すのに6時間与えられたら、私は最初の4時間を斧を研ぐのに費やすだろう~

因がある限り、縁さえくれば、結果は起きる

因果の道理は仏教の根幹です。

この因果の道理が分からなければ、
仏教に教えられる本当の幸せも分からないし
人生の目的も分かりません。

 

「因果」とは、
どんな結果にも必ず原因がある、

原因なしに結果が現れることは
絶対にないということです。

日本では、

お父さん、お母さんとうまくいかない
子供がいて悩んでいたりします。

一生懸命努力しても
正しく評価してくれないと
苦しんでいる人もいます。

なんでこんな人と結婚したのかと
悩んでいる人もいます。

どうして、こんな苦しい思いを
しなければならないのか、

原因がわからずに悩んでいます。

私たちには、 原因がわからないことは
ありますが、原因がないということは
絶対にありません。

私達に分からなくても必ず原因があります。
幸せや不幸を生み出す原因が必ずあります。

 

「道理」とは、

いつでもどこでも変わらないものを
言います。これを真理とも言います。

真理とは、
全ての人に共通して当てはまることです。

だから、皆さんの家族にも、友達にも、
みんなにあてはまります。

仏教は、そういう真理を
2600年前から教え続けられているのです。

因果の道理を分かりやすく言えば、

「まいた種は必ず生える
 まかぬ種は絶対に生えぬ」

ということです。

特に私たちにとって一番知りたい
幸せの原因と結果の関係が
詳しく教えられています。

 

日本には、

幸せになりたいのに幸せになれずに
苦しんでいる人がたくさんいます。

親子や夫婦といっても
いつも喧嘩している家庭もあります。

働いても働いても思ったほどに
収入が増えずに、貧しくて
苦しんでいる人もいます。

好きな人ができて、
結婚して幸せになりたいのに、

自分を好きになってもらえなくて
苦しんでいる人もいます。

うまくいく人と
努力してもうまくいかない人がいます。

すごく幸せな人生を送る人もあれば
そうでない人もあるのではないかと
思ったりします。

世の中には悪いことをして、
大金持ちになっている人もあるのでないか。

嘘がバレずに幸せになっている人も
いるのではないか。

真面目に働いているのに
病気になる人もあるじゃないか。

この世の中は、平等でなく、
もの凄く、差別があるように感じます。

幸せ求めて生きているのに
幸せになれないのか?

皆、その原因を知りたいと
思っている人ばかりです。

これは世界中の人が
一番知りたいことではないでしょうか。

仏教は、私たちの運命はどうやって決まるのか。
それを一言で表した言葉が

【自業自得】という言葉です。

私たちが受ける結果は、
自分のやった行いが、
生み出したものだということです。

 

私の行いと言いましても、
仏教では心と口と体の三つで行いをします。

善い行いをすれば、必ず幸せの花が咲く。

善い種まきには、幸せの花を咲かせる
ものすごい力がある。

私たちのやった行いは、
目に見えない力となって残っていきます。

これを仏教で【業力不滅】と言われます。

 

善い行いをすれば、善業力によって、
必ず幸せになることができます。

そして、仏教で教えられる一番の善い種まきは、
仏教を聞くということなんです。

聞法は、素晴らしい善い種まきです。

その次に善い種まきが朝晩のお勤めです。

善いことを続けて行えば、
それが良い生活の習慣となって
身についていきます。

他にも、家族に笑顔で、優しい言葉をかけたり、
感謝の心を持って、感謝の言葉を言ったりする
ことも善い行いです。

そのように心がけて、実践していけば
必ず幸せになれます。

お釈迦さまは、こういった善い行いが
一つも消えることなく、
幸せを生み出す力となって残っています。

これを【善業力不滅】と言われます。

 

ところが、善いことして、
努力しているのになかなか結果が現れず、
苦んでいる人もあります。

「幸せになんてなれないじゃないか」
と諦める人もあります。

 

しかし、お釈迦様は、
「あきらめる必要はないよ」と教えられました。

善い種まきが、結果となって現れていないのは
まだ縁がないからだよと、教えられています。

私たちの行いが、結果となって現れるには
縁というものが必要です。

 

例えば、 冬の寒い時には、花が咲いていない木。

日本では、春になると桜の木が、
非常にきれいに咲く。

冬の間は、枯れた木のように花一枚無い。
でも、 春になり暖かくなるとパッと花が咲く。

それは、目には見えませんが、
桜の木の中に、花を咲かせる力があるからです。

それが、春という縁と結びついて
一気に花を咲かせます。

私たちも一生懸命、善い種をまき、
縁が来たならばば、

必ずやがて自分のもとに
幸せな結果となって返ってきます。

 

だから

「因がある限り、
 縁さえ来れば、
 結果は起きる」

ということです。

つまり、諦めず善い種をまき続けると、

縁さえくれば
幸せな結果が現れるということです。

 

桜の木であれば、
その木の命が続いている限り、

毎年毎年、春になると綺麗な花を咲かせます。

花を咲かせる力がある限り、
縁がくれば、毎年、花を咲かせます。

ところが、やっと咲いても
一週間ぐらいしか咲いていない。

花が咲いていない時間の方が
ずっと長いということです。

私たちの人生も冬の時代が長い、
縁が無い時代の方が長いかもしれません。

だから善い種をまいても我慢するのが長い。

そんな時間、待つくらいなら
善いタネ蒔いても仕方がない、
無駄なことかと言うと、

我慢すればするほど、
一斉に花が咲くときの嬉しさは大きくなります。

 

善い種を蒔いたのに
善い結果が来ていない人は
決して不幸な人ではありません。

それは貯金しているようなものです。
幸せの貯金ですから
縁がくれば、やがて一気に
幸せな結果を生み出す時があります。

いつ芽が出るかを気にせず、
ひたすら種をまき続ければ、
必ず幸せな結果となって返ってきます。

だから常に良い種まきをする努力が必要だと、
お釈迦様は、教えられているのです。

 

「何も咲かない寒い日は
 下へ下へと根を伸ばせ」

とよく聞く言葉です。

 

また、有名なことわざに

「果報は寝て待て」

と言われます。

この言葉を、辞典にも

幸運というものは
人の力ではどうにもできないものだから、

あせらずに時機を待つのが良いということ、と
書かれています。

しかし、何もせずに
善い結果が来るのでは、
因果の道理に合わなくなってしまいます。

 

だから実際は
「練って待て」ということです。

「練る」とは、

自分が工夫して、努力して、
練習して、訓練して、反省し、

さらなる工夫や練習や努力を繰り返していくと
やがて大きな結果となって、

縁がやってきた時に
思いもよらぬ大きな結果となって
返ってくるということです。

訓練を継続し、 原因の探求を継続し、
善の研究を継続していけば、

急激に大きな変化を起こすよりも
上がり下がりを繰り返しながら
ちょっとずつ上がっていくことが大事です。

 

だから一時的に落ちても
くよくよせず、上がり下がりを繰り返しながら
だんだんと上がっていくように常に
改善、改良、工夫の継続を
続けていくことが大事です。