If I had six hours to chop down a tree, I’d spend the first four hours sharpening the axe.

~もし、木を切り倒すのに6時間与えられたら、私は最初の4時間を斧を研ぐのに費やすだろう~

他人鏡・・・他人が私を正しくみているのか?

鏡で一番大切なのは?

鏡で一番大切なのは、
その鏡によって正確に自分の姿を
映し出すかどうかです。

日本だけかもしれませんが、
洋服屋さんの鏡が曲がっている
と言われます。

洋服屋さんの鏡はすこしだけ、実際よりも
細く見えるように曲がった鏡が置かれています。

だから、お店で試しに着てみると、
とってもすっきりしてきれいに見えます。

気分が良くなって、買い物をして、
家に帰って着てみると、
店で見たのと違うように見えます。

これは、曲がった鏡を
見ているからです。

正しく自分を映す鏡を使わなければ、
正しい姿は分かりません。

 

他人鏡とは?


「他人鏡」とは、他人の言葉、評価によって、
自分を知るとことです。

日本では、

この、他人鏡に良く映ろうと、
朝から晩まで人の評価を気にして
生きている人が非常に多くいます。

他人からほめられると、
「自分は価値のあるすばらしい人だ」
と思えたり、

他人から悪く言われると、
「自分なんていないほうが良い人間だ」
と思うこともあります。

私たちが一番傷つくのは、
人から無視されること。

学校のいじめでも
暴力をすることもよくないですが、
無視されることは一番傷つきます。

無視されると、自分はいないほうが
良い人間に思えてくる。

これは、人が私をどう見ているかによって
自分の価値を見ている、ということです。

しかし、他人鏡は私の姿を正しく評価する、
鏡なのでしょうか。

この鏡は、自分を正しく映す鏡だと思いますか?
結論を言えば、この鏡は、私を正しく映す鏡では
ありません。

 

「都合」によって曲がる

どうして、私を正しく映す鏡と
言えないのか?

人が、私をどう評価しているかは、
私が、人をどう評価しているかを
考えてみればわかります。

私が、あの人はいい人、好きな人
と思うのはどんな人か。

反対にあの人は、悪い人だ、嫌いだ、と
思うのはどんな人か、考えてみましょう。

ではいったい何によって
他人鏡は曲がるのでしょうか。

それは都合です。

人の評価は都合によって変わると
言われるのです。

私にとって都合の良い人はいい人。
私にとって都合の悪い人は悪い人と
いうことです。

例えば、

私が、大学に通っていた時に、
あの教授・先生は、良い先生、
あの先生は、悪い先生だと
よく学生同士で話をしていました。

その場合、どんな先生が良い先生だと
評価されるかと思いますか?

私たちの中では、試験が簡単な先生が
良い先生。

反対に、どんなにわかりやすく授業を
教えてくれた先生でも、
試験が難しく、全然わからない問題ばかり
出してくる先生は、悪い先生になります。

また、大学の教授・先生が、
社会にとって、とても役に立つ
研究をしていて、世間では、とても良い評価を
受けていたとします。

しかし、その大学の教授が、難しい試験を
出す先生ですと、学生にとっては、悪い評価に
なります。

結局、私にとって、都合が良いか、悪いかで
人を評価していることがわかります。

この人はいい人?悪い人?

私たちは、回りの人と話をしていると、
同じ人に対してでも、
自分の評価と他の人の評価が、
全く違うことに驚くことがあります。

私は、大好きな友達に対して、
他の友達が、悪口を言っているのを
聞くことがあります。

反対に大嫌いな人を、
他の友達が、ほめているのを聞くと、

「どこからどう見たら
 あの人がそんな良い人に思えるんだ」

と思ったりします。

自分があの人は良い人、悪い人と
思っているのは、

私にとって都合が良かったから、
悪かったからそのように思っているだけで、

実は、その人は良い人でも悪い人でもありません。

「嫌いな人の真実よりも
 好きな人のウソが良い」

という言葉もあります。

嫌いな人が、どんなに納得できることを
話していても、素直に聞けない心が出てきます。

好きな人が、話していることは、
おかしいことを言っていても、
気にせずに聞いてしまいます。

このように、私が人を評価する時には、
自分の都合で相手を良い悪いと評価しています。

同じように、相手が私を評価するのも、
相手の都合によって、ころころ変わります。

だから他人鏡は曲がっているのです。


今日ほめて 明日悪く言う 人の口

日本に一休という名前の僧侶がいます。

その一休が

「今日ほめて明日悪く言う人の口  
 泣くも笑うもウソの世の中」

と言っています。

今日、ほめてくれた人が、
明日には悪く言うことがある。

だから私たちは、

ほめられると喜んで笑っているし、
悪く言われると悲しんで、泣いている。

だから、ほめられたからといって
喜びすぎるのも、

悪く言われたからといって、
落ち込みすぎることもいらない。

人の口は、都合によってコロコロ変わる
あてにならないものですよ、と
教えられています。

もちろん、これは、人のいうことは
ウソだから聞かなくても良いという
言葉ではありません。

人は、私の気づいていない、
私の欠点を教えてくれることがあります。

昔から、

「3人の人から、同じ欠点を言われたら
 それは人に迷惑をかけていることだから
 正しなさい」

と言われます。

人の言葉を聞いて、
自分を正していくことも大事なことですが、

私を本当に、正しく評価しているのではない、
ということです。


他人の目に振り回されている

ポルトガル語で人間をpessoaと言いますが、
これは、ラテン語のペルソナが元になっています。

そして元々の意味は、仮面Mascararという意味です。

人間は、日々、
仮面をつけて生きている、ということです。

どういうことかというと、

私たちは、まわりの人に良く見られたいと
思う気持ちから相手によって、
見せる顔を変えているということです。

たとえば、

家にいて家族に見せる顔と、

外で友達に見せる顔は同じですか?

家では、とても友達に見せられない、
自分が出てしまわないでしょうか?


日本では

友達といる時は楽しく過ごせて
何でも言えるのに、

家に帰ると笑顔が消えて、何も話をせず、
自分の部屋に入ってしまう人があります。


また友達に見せる顔と、
会社の社長に
見せる顔は同じでしょうか?


日本では

はやく出世したいと思って、
会社の社長には、自分が一生懸命働いている姿を
見せようとする、人が多くあります。

だから、社長がいないとなると
仕事も、手を抜いて、という人があります。

よく考えてみると、私たちは、
相手に合わせて、自分の仮面を
パッと付けかえて、接していないでしょうか?

それは、少しでもよく評価してほしい、
悪く見られたくないと思うからでは
ないでしょうか。

しかし、人の目をあまりにも気にするために、
自分の言いたいことが言えなかったり、
やりたいようにできなくて、
ストレスをもって苦しんでいる人があります。

人の目を全く気にしない、ということは
できませんが、

あまりにも気にすると、ストレスが多くなって、
人と会うのも嫌だとなる人もあります。

本当の姿を知ることが大事

自分の本当の姿が分かると、
人の言葉を気にして、喜んだり悲しんだり
しなくてもよくなります。

仏教には、本当の自分の姿が教えられていますので、
仏教を聞くと、明るく、強く
生きていけるようになります。