If I had six hours to chop down a tree, I’d spend the first four hours sharpening the axe.

~もし、木を切り倒すのに6時間与えられたら、私は最初の4時間を斧を研ぐのに費やすだろう~

仏教を一言で言えば…

●仏教を一言でいえば?

お釈迦さまの教えていかれた仏教は、
一言でいえば、何を教えられているか。

楽天と鳥巣禅師という僧侶のやり取りが
残されています。

昔、中国に、いつも樹の上で坐禅瞑想
していた鳥巣という僧侶がいました。

ある日、儒教で有名な白楽天が、
その樹の下を通って、
瞑想している樹上の僧侶を
冷やかしてやろうと思ったのです。

「そこの坊さんよ。そんな高い木の上で
目をつむっていては、危ないではないか」

 鳥巣は、すかさず、
「そういう貴殿こそ、危ないぞ」
と切り返しました。

この坊主、相当の奴かもしれぬと
見てとった白楽天は、

「私は、名もなき白楽天という儒者だが、
貴僧のご芳名を承りたい」

と聞くと、
「私は、名もなき鳥巣という坊主だ」

鳥巣と聞いて、白楽天は驚いた。これがいま高名な、
鳥巣禅師かと知った白楽天は、かねてから
仏教に関心を持っていたので、こう言って頭を下げた。

「いい所で、貴僧に会った。
一体、仏教とはどんな教えか、一言でご教授願いたい」

 即座に、鳥巣禅師は答えています。

「もろもろの悪を為すことなかれ、
つつしんで善を修めよ、と教えるのが仏教である」

 それを聞いた白楽天、いささか呆れ顔して、

「そんなことなら、三歳の子供でも
知っていることではないか」

と冷笑すると、鳥巣禅師、

「三歳の童子も、これを知るが、
八十の翁も、これを行うは難し」
と大喝しています。
 
知っていても実行しなければ、
知らないのと同じだからです。

 

●釈迦一代の教えは、廃悪修善の教え

仏教を一貫する教えは、因果の道理です。

善因善果、悪因悪果、自因自果は、
三世十方を貫く真理です。

この真理に立てば
「悪いことをやめて、善をせよ」の
廃悪修善になります。

仏教を一言でいえば、廃悪修善の教えで
あることが分かります。

一切経で、お釈迦さまが教えられていることは、
廃悪修善で一貫しておられます。

 

●「廃悪修善」と「唯説弥陀本願海」の関係は?

そのように聞くと
「釈迦の一切経は、廃悪修善の教えならば、

親鸞聖人が
如来所以興出世 唯説弥陀本願海』
と仰っていることはどうなるのか?」

と疑問に思いますか?

「釈迦の説かれたことは廃悪修善では?」
「どちらが本当か?」と思うかもしれません。

 親鸞聖人は、『正信偈』で、朝晩、
「釈迦の説かれたことは、
 弥陀の本願ただ一つですよ」

と教えられています。

では、釈迦の一切経を読んでみると、
大宇宙の真理、因果の道理が教えられています。

因果の道理から出る教えは、「廃悪修善」しか
ありません。

じゃあ、なぜお釈迦さまは、
廃悪修善を教えられたのか。

 

●弥陀の19願の御心を明らかにする為

それは、阿弥陀仏の19願の御心を
明らかにされたからです。

阿弥陀仏の19願を
「修諸功徳の願」といいます。

修諸功徳とは、諸の功徳を修めなさい。

「諸の功徳」とは、
「諸善万行」ともいいます。

それを釈迦は、七千余巻の一切経に説かれている。

だから、お釈迦さまが生涯、           
一切経で廃悪修善を教えられたのは、 
阿弥陀仏の19願を教えられたということです。


●19願は「要門」「仮門」

では、なぜ、お釈迦さまは、   
阿弥陀仏の19願を一切経で教えられたの
でしょうか。

それは、19願を通らなければ、
18願、真実の世界には出られないからです。

この19願を通らなければ、私たちは、
絶対に18願に出ることはできません。

だから19願を「要門」とか「仮門」と
言われます。

要とは、必要、重要、カナメということ。
仮とは、方便のことです。

方便なしに、真実の世界に
出られる人は、一人もありません。

お釈迦さまが、因果の道理を説かれたのは、
阿弥陀仏が19願で、
「修諸功徳」(善をしなさい)と
仰っている御心を明らかにされるためでした。

お釈迦さまが因果の道理を説かれたのは、
大宇宙の真理だから説かれたのではなく、

すべての人を18願に導く為に、
阿弥陀仏の19願の御心を明らかにする
ために、説かれたのだということです。

お釈迦さまが、因果の道理を説かれているのは
私たちに、善をやって救われなさいと
教える為に説かれたのではありません。


●釈迦と弥陀の関係を知る

これは、お釈迦さまが阿弥陀仏の弟子であると
いうことを知れば、ハッキリすることです。

弟子の使命は、先生の御心を明らかにすること。
これ以外に、弟子のつとめはありません。

お釈迦さまが教えられたことは先生である、
阿弥陀仏の御心以外にありません。

阿弥陀仏の御心を知らせるために、
誰も否定することのできない、
因果の道理を説かれて、私たちに
善を勧められています。

その善の勧めは、阿弥陀仏の19願を
明らかにするための方便の教えであると
いうことです。

 

●釈迦の教えは「唯説弥陀本願海」

阿弥陀仏が建てられた19願を
通らなければ、18願には出られない。

そういう阿弥陀仏の御心を
私たちに明らかにされるため。

お釈迦さまの教えていかれたことは、
それ以外にはありませんから

「唯説弥陀本願海」と
親鸞聖人は教えられています。

阿弥陀仏が19願を建てて、    
「もろもろの善をしなさいよ」と、 
「廃悪修善せよ」と教えられたのは、
阿弥陀仏の18願へ出すためです。
                 
それを、お釈迦さまが説かれたから、
釈迦の教えられたことは、唯一つ。 
「唯説弥陀本願海」です。